清眞人からの研究通信・第一号
昇曙夢の奄美シマ唄論の紹介 第一回
彼の『奄美の島々・文化と民俗』(一九六五年、奄美社)より
- 昇は奄美大島実久村に明治十一年に生まれ、小学校を卒業後、上京し、稀有な学歴を重ねた後、ロシア文学の専門学者となり、ロシアを何度か訪問し、何冊もロシア文学に関する研究書を出版、一九六五年には著書『ロシア・ソヴィエト文学史』で日本芸術院賞と読売文学賞を受賞した大学者。同時に、彼は奄美への熱烈な郷土愛の持ち主でもあり、一九四九年に『大奄美史』(再刊、一九七五年、原書房)という大著(五八三頁)を出版。それを短くまとめたのが、『奄美の島々・文化と民俗』(奄美社、一九六五年)。
詳しく知りたければ、スマホでグーグルなどの検索に「昇曙夢」と入れ、ウィキペディア等の解説をまず読んでみてください。
この研究通信は、昇の『奄美の島々・文化と民俗』を抜粋して紹介するものです。この本は、新書版ほどの分量の小さな本ですが、奄美のシマ唄の魂を知り、考えるうえで、とても参考になると思います。毎回、少しづつ紹介してゆきます。(なお、彼の文章を解りやすくするため、現代標準語に直し、語句などもいくつか少し変える等、工夫を加えました)
同書・第四章「万葉の余韻におう奄美民謡」から
古語を豊富に使っているのが、奄美文化の誇りともいうべき民謡である。奄美民謡は琉球の短歌(琉歌)と同じく、八八八六調・四句・三十音からなり、和歌よりも一音少ない。和歌の七五調に対して、琉歌や大島の民謡は八六調であり、三と五との交差からできており、どの句も三四か五三の組み合わせになっている。たとえば婚礼祝いの歌に、
今日のよかろ日に、夫婦まぐあひて、巣籠りの栄え、鶴のごとに。
(今日の良き日に、夫婦つがいあい、巣ごもりが生む家の栄え、鶴のようだ)
というのがある。「よかろ日」は吉日。「まぐあひ」は古語で、性交または結婚の意味。古事記に「好物のまぐあひをしろ」という語句がある。また新築祝いの歌に、
新屋敷造で、黄金柱植えて、百本茅降るち、葺ちゃる美らさ
(新しい屋敷づくりさ、黄金の柱を据え、百本の茅で屋根をおおう その美しさときたら!)
とある。「きよら」は美らで奇麗の意味、徒然草に「万にきよらを尽くしても……」とある。
以上の二首はいずれも奄美民謡の正調である。本来詩形は人により国民によって様々であるが、奄美民謡の正調たる八六調三十音の詩形は実に素直に民族の自然な本性から生まれており、敢えて「工夫する」ということをせず、日常の日本語の使い方の習慣を直接に採用し、難しくしないで率直に歌いだすという点に、その特徴がある。だから、感動が湧いてくれば、日常の話し言葉がそのまま口をついて歌になることがよくある。大島に即興の歌が多い理由の一つはそれであろう。たとえば、
打割れて咲きゅる百合花見りば寄て行きゅる年齢も若くなりゆり
(まるで割れたように咲く百合の花を見れば、つい寄っていきたくなる、若返ったようだ、この俺も)
月と眺めても星と眺めても肌染だる恋人や忘れ苦るしゃ
(月だと眺めても星だと眺めても、肌を撫でたあの恋人のこと、忘れずらい!)
玉乳握りむりば染だるより勝る、後ろ軽々と去もれしょうしゃ
(玉のようなお乳掴んだのだから、撫でるよりずっといい、後姿も軽々とお行きなさい!)
などは、きわどい官能をいかにも自然に率直に表現したもので、少々露骨ではあるが、日常の話し言葉がそのままとっさに口を衝いて出た即詠即吟の好適例である。*
- 別な頁に、この歌については次の記述がある。
「……たとえば即興歌の名人で、大島の恩納ナベと言われる笠利鶴松が機織りの最中、偶然立ち寄って薩摩藩の大官に乳房を握られて、即座に口を衝いて出た即興歌で大官を追い返したという歌」、それがこの歌であったという記述が。(同七章、一〇二頁)
思想は極めて単純素朴であって、思うところ感ずるところを、露骨と思われるくらい率直に表現していることは、以上の数例に照らしても明らかである。全体として叙事詩が乏しく、抒情歌が多いのは民謡としてやむをえないが、一つは島民の境遇がそうさせたからでもあろう。同時にまた、客観的題材の上によくその主観を生かし、身に染み入るように人の胸に迫るものがあるのは万葉集あたりと似ている。なかでも異性に対する切実な情愛を、日常の類似の事象に譬えの比喩を求めて、主観の表現をより強く力づけようとしている点など、大島の民謡は、その技巧の差こそあれ、発達の道程において、もしかしたら万葉時代の歌謡と同一過程の上に立っているのではないかとさえ思われる。この意味においても大島の民謡はこの島の郷土芸術の誇りであるばかりでなく、大きくいって、わが日本の豊富なる郷土芸術の中でも最も特色的なものの一つである。
…(中略)…
奄美民謡の歌詞を構成している用語は古事記・日本書紀・万葉集から古今集あたりまでの古語が多く、したがって芸術的匂いが高い。たとえばそれぞれの式日に謡われる祝い歌のごときは、記紀万葉の古調を伝えて質朴高雅な気品に富んでおり、なかには神歌や祝詞の面影を偲ばせるものがある。…(中略)…大島の民謡に
千鳥や浜千鳥鳴くな 浜千鳥鳴けば面影ぬ勝さて立ちゆり
(千鳥よ浜千鳥よ、鳴くな、浜千鳥が鳴けば、あの面影が何にもまして立ち上がるんだ!)
というのがあるが、これは万葉集の「淡路の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしぬに古へおもほゆ」と全く同じ思想を歌ったものである。奄美民謡の
思て自由ならぬ水中のお月 手に取ららじ思ひ潰ぶす
(想ったとて自由にならぬ水に映った月よ 手にできないから想いを潰すまでだ!)
は万葉の「目には見て手には取らえぬ月のうちの桂の如き妹をいかにせぬか」(目には見えても手にできない月の、そのなかの桂のような愛するお前をどうしたらよい!)と全く同調異曲である。また奄美民謡の恋歌の一つに
八百日行く浜ぬ思い睦れ草、肝ちゃげぬ加那と睦れ苦るしや
(八百日もかかる長い浜の、わが想いと絡み合った草たちよ、可愛いお前と絡みあうこの苦しさよ!)
というのがある。「肝ちゃげぬ加那」は恋人の意味で、「八百日行く浜」は長い浜のこと。万葉に、「八百日行く浜の真砂もわが恋に……」とある。
奄美民謡と万葉歌とのこの類似は、奄美民謡の方はかつて一度も万葉集を読んだことのない無教養の農民の作だけに、決して模倣とか焼き直しとかいうべきものではなく、両者とも魂の奥底からほとぼしった偶然の一致というものであろう。
同書・第七章「方言と歌謡」」から
一、若干の特質
…(中略)…
次に奄美方言に親愛の意を表す愛称の多いのも特色的である。殊に「カナ」(加那)、「カナシ」(加那志)、「カネ」(兼、金)、「クヮ」(小、子)のような接尾語は沖縄・大島独特の親愛語で、南島生活の特殊性を物語る語である。これをいろいろな名詞に接続して親愛の意を表するものである。同時に尊敬の意を表すこともあるが、その場合でもどちらかといえば親愛の心持が強い。「カナ」と「カナシ」は同義語で、日本の古語の「愛する」という意味の「カナシ」と同意味である。源氏物語の「わがかなしと思う娘を……」の「かなし」に相当する。播磨風土記に兄太加奈志、弟太加奈志という語が出てくるが、ここでは加奈志という接尾語が大島におけると全く同じ意味、同じ用法で使われている。「カネ」は「カナ」の訛り化したもので、国語の「ムコガネ」(婿さん)の「ガネ」などと同系統の語であろう。「クゥ」または「グヮ」は「子」という名詞が接尾語化したもので、たいていの名詞には添えることができ。また事実添えて使っている。東北地方の方言でよく使われる接尾語の「コ」と一脈相通ずるものがあって興味深い。
以上の接尾語のほかに敬と美を表わす接頭語に「真」、「玉」、「思」、「御」等があって、これまた広く使用されている。たとえば、「真名瀬」(大名瀬あるいは麗名瀬の意味)、「玉黄金」(愛人)、「思童」(恋人)、「御月様」等のようにである。時には無上・最高の愛を示すために、ご丁寧にも接頭語と接尾語とを併用して、「鶴」という女性を「真鶴加那」と呼んだりする。愛人を「思童子」とも呼ぶ。火のことを「御火加那志」、塩のことを「真塩加那」、牛のことを「真牛金」と呼んだりもする。
特に民謡においてはたんに敬愛の意味を表すためばかりでなく、調子を整え、詞の姿を美化する必要から、これらの美称接頭語および接尾語を盛んに使っている。民謡に現れる男女の愛称にもいろいろあるが、多く使われているのは次のような呼称である。
男に対しては、黄金、玉黄金、里、思里、思里目、思童、やくめ、しょうしりゃ(衆しられの略音、「御一同」の意味)、思しょうしりゃ、等々。
女に対しては、無蔵、思子、思女、思をなり、あせっ子、女童、吾子ッ子、姉御、等々。
男女共通の愛称には、加那、加那志、肝ちゃげ、肝ちゃげの加那、可愛しゃん人、等。
〔譬えや比喩、および対句〕
大島や琉球の民謡作者が修辞の技巧として、詞の姿形を整えるために使用した常套手法は譬えと繰り返しである。譬えは、直喩法を用い、繰り返しは対句畳句を盛んに使っている。たとえば、
天ぬ白雲に橋掛けぬなりゅみ、及ばらぬ恋人に手かけなりゅみ(天の白雲に橋を架けようとするのは、届かない恋人に手をかけようとするようなもの)
夜走りゅる舟や隠れ礁ど敵、恋人待ちゅる夜や友達ど敵(夜を航海する舟だぞ、隠れている岩が敵だ。恋人待つ夜だぞ、友が敵さ)
隠喩は、このように上の句が下の句、すなわち主句の譬えとして用いられる場合が多い。
補論 昇曙夢の『大奄美史』から、奄美語の発音上の特徴について
第四篇 琉球服属時代(近古期)
十一、歌謡の発達と特質
〔奄美方言の特殊性〕 民謡を理解するためにはあらかじめ大島方言(奄美方言)の特殊性をわきまえておく必要がある。大島の方言を構成している要素は、日本語の一支語としての南東語(琉球諸島と共通する固有の島言葉)と、薩摩をはじめ本土伝来の新語と、琉球文化の影響による文化語などであるが、中には由来の全然不明なものもあるから、あるいは中国・朝鮮・インド・南洋あたりの語も混じっているかもしれない。いずれにしてもその語法からいって、奄美大島語は日本語の一方言に過ぎないのだから、別に特殊な異例があるわけではない。ただ音韻転化がはなはだしいために、初めて聞く人にはまるで外国語のように響くようであるが、よく吟味してみると日本の古語系統に属する語であることがわかる。だから転訛の方式(訛りへと転化する方式)さえわかれば、たやすく理解ができるはずであるから、ここに二、三の主たる特殊性について注意しておく。
まず第一に、奄美方言では五十音図中のオ列の音は上昇してウ列の音に転ずるのが通則である。だから、
オコソトノホモロヲの音は
ウクスツヌフムユルウの音に
転訛する。例えば、オオシマ(大島)がウフシマ、ソデ(袖)がスディ、モモ(腿)がムム、シロ(白)がシルとなる場合がその一例である。同じく、エ列の音は上昇してイ列の音に転ずる。
だから、
エケセテネへメエレエレヱは
イキシチ二ヒミイリヰに
転訛して、ケタ(桁)をキタ。サネ(種)をサニ。メシ(飯)をミシ、サミセン(三味線)をサ三ミシンと発音する。それ故に、母音としては、ア・イ・ウの基本母音だけあって、エ・オは短母音としてはほとんど存在しないと言ってよい。
次に奄美方言の特色として拗音化する場合が多く、したがって方言には、
イャ、イェ、イョ。 キャ、キュ、キョ。 シャ、シュ、ショ。
チャ、チュ、チョ。 二ャ、二ュ、二ョ。 ミャ、ミュ、ミョ。
等の拗音がざらに出てくる。また子音母音結合の原型の残存した拗音的な音声も多く、例えば、
クァ、クィ、クェ。 スァ、スィ、スェ。 ツァ、ツィ、ツェ。
ヌァ、ヌィ、ヌェ。 ファ、フィ、フェ。 ムァ、ムィ、ムェ。
ウァ、ウィ、ウェ。
等の音声が盛んに使われている。その場合、民謡ではこれを二字に数えずに一音に数える。*
*「拗音」とはまさに昇が今述べたように、例えば「イェ」を「イ」と「エ」と「二字・二音」として表記・発音せず、連続させてまるで「一字・一音」のように表記・発音することを指す。
それから脱音の多いことも一つの特色である。例えば、古語の「ツブブシ」(膝)のブが脱落して方言の「ツブシ」になり、「メワラベ」(女童・少女)のワが抜けて「メーラべ」となり、「ヒト」(人)のヒが抜けてトが拗音化して「チュ」(方言で「人」のこと)となり、「ウライタ」(裏板)のイが脱けると同時にタが拗音化して方言の「ウラチャ」となり、「アシタ」(明日)はシが脱落すると同時にタが拗音化して方言の「アチャ」となるような場合がそれである。
その他、語腹以下のk音がF音に変ずること(心の「ココロ」が「コホロ」となるように)や、ラ行を多く使用すること、特に言葉を結ぶ場合琉球ではたいてい「ン」または「ュン」で結ぶようだが、大島では「リ」で結ぶ傾向のあること(例、「泣ちゅり」、「立ちゅり」、「行きゅり」、「若くなりゅり」等々)などに注意しさえすれば、たいていの歌詞は理解できると思う。

昇曙夢と家族

清 眞人 きよし まひと
1949年生まれ
近畿大学元文芸学部教授、2015年退職
奄美についての著書、『根の国へーー秀三の奄美語り』単著、海風社、2008年。『奄美八月踊り唄の宇宙』、富島甫との共著、海風社、2013年。『唄者 武下和平のシマ唄語り』武下和平との共著、海風社、2014年